2015年5月1日金曜日

Who I am / 私は誰



 Who I am / 私は誰

最近、人間がおかしいのが気になります。

エルヴィスの歌声をポケットに入れて
その謎を解く旅。

人間は言葉を持ってこの世に誕生したわけではありません。
どのようにしてコミュニケーションしたのでしょう。

キース・リチャーズが語っているように

三、四千年前の人間の祖先のことを思い出してみろよ。
骨を見つけ、
それを岩の上で打ち砕いた男------。
彼は満月を見上げる。
大声で吠えた。
それが音楽の起源。
----それこそがロックンロールだ。

音楽の起源とは、生きるために、愛を通わせた時点に遡るのではないでしょうか?

異常気象が続き、人心は乱れ、モラルの破壊は続き
私たちは明らかに生きる上でもっとも大切なにかを進行形で失っています。




1960年12月に「ベトナム戦争」が起こります。1960年のビッグヒットは<イッツ・ナウ・オア・ネバー>でエルヴィスはますます絶好調、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

1964年8月、アメリカを筆頭に大規模な軍事介入が始まりベトナム戦争は激しさを増していきました。1967年~1968年に激しさのピークを迎えます。アメリカ国内では反戦デモが盛んに行われ、プラカードが掲げられ、言葉が意味を持ちました。ここでエルヴィスはいわゆる低迷期に入ります。

ボブ・ディランらフォーク畑のミュージシャンは言葉を伝えるミュージシャンです。ビートルズは楽曲的にビーチボーイズを意識し、言葉的にはボブ・ディランを意識したような作品を世に出します。

一方、エルヴィスは魂でコミュニケーションするミュージシャンです。詩に重きはなく、歌声にすべてが凝縮されています。エルヴィスはこだわり、ステージ活動に比例し、魂でのコミュニケーションを試みます。

しかし当時の言葉にこだわり、作詞作曲を尊ぶ風潮は、カヴァーに専念するエルヴィスをラッキーボーイにすぎない過去の遺産と見なす人々を作り出しました。

もっとも低迷期とされている68年にシングルリリースされたものを並べてみると、<愛しているのに><ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン><その気で行こう><おしゃべりをやめて>とそれぞれ独特の味わいのあるどれも傑作揃い。2000年代に入ってヒットチャートナンバーワンになったパフォーマンスも含まれています。ただ売れ行きが落ちただけで、経済的価値で低迷期、スランプと騒ぐことはアーティストに誠に失礼である。しかも売れ行きには利害関係が働いていてエルヴィスの存在を否定したい力も影響したでしょう。


エルヴィスが何者なのか、<マイボーイ>や<ポーク・サラダ・アニー>のオリジナルと聴き比べれば、すぐに分かります。もはや同じ楽曲とは言えません。それこそがエルヴィスが子どもの頃から培ってきた人生そのもであり、人生の詩なのです。「自分ならこうする」と好きな曲を口づさんだ時、歌は一瞬にして魂を受け入れ通わせます。詩も曲も、見えない魂を形作る装置でしかないのです。

ディブ・マーシュ(音楽評論家)が語ったように、エルヴィスは他の誰の概念にも定義されることを最後まで拒んだ男だったのです。


三、四千年前の人間の祖先のことを思い出してみろよ。
骨を見つけ、
それを岩の上で打ち砕いた男------。
彼は満月を見上げる。
大声で吠えた。
それが音楽の起源。
----それこそがロックンロールだ。
エルヴィスは魂でコミュニケーションすることを教えるために、人間の祖先、音楽の起源からやってきた男ではないかと思うのです。


我々はどこからきたのか?
私はなにものなのか?
我々はどこへいくのか?





2014年10月12日日曜日

ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン / YOU'LL NEVER WALK ALONE


ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン /
YOU'LL NEVER WALK ALONE


エルヴィス・プレスリーは自らの音楽のルーツを、ロックンロールのルーツを、ゴスペルだと語っていた。

胸打ち、涙がこべれ落ちる、<ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン>は、エルヴィス・プレスリーが歌うにふさわしいエルヴィス・プレスリーらしい曲だ。


嵐の中を進むときも
頭を高くかかげなさい
闇を恐れてはなりません
嵐が鎮まるその時には
黄金の大空が開け
甘美なひばりの白銀のさえずりが聞こえてきます

風の中を歩きつづけなさい
雨の中を歩きつづけなさい
たとえあなたの夢が
荒々しく吹き飛ばされそうになろうとも

歩きつづけなさい
歩きつづけなさい
希望を胸に
あなたは決して一人で歩くことはないのですから
あなたは決して一人で歩くことはないのですから

歩きつづけなさい
歩きつづけなさい
希望を胸に
あなたは決して一人で歩くことはないのですから
あなたは決して一人で歩くことはないのですから






こう暑いと、夏物連発と行きたい。ところが、なぜかココロとらえていまは毎日<YOU'LL NEVER WALK ALONE>をくり返しくり返し。あきもせずに聴いている

ある日クルマの中で聴いていたら「雷雨」がドカ~ンと降り注いできたように、脳を直撃。以前にも何度も聴いていた曲がまったくまっさらの新曲のように感動。

やっぱりエルヴィスは奥が深い。あるいは自分が何も分かっていないのかも?

ジョン・レノンの言葉をはじめ多くのエルヴィスに対する言葉が残された。

このサイトのアチラ、コチラに記載したフィル・スペクターの言葉

「かれは素晴らしい歌手だよ。ほんとに。彼はとても素晴らしい。どれだけ素晴らしいかみんなわかっていないんだ。本当には。わかっていないさ。みんな全然理解していないんだ。ーーー絶対に無理だね。どうして彼がそんなに素晴らしいかなんてわからないよ。でも、彼は素晴らしいんだ。」は見事にエルヴィスを表現している。

フィルのいうように本当のところ、エルヴィス・プレスリーのことをまだ分かっていないんだ。研究はしても、全然分かっていないんだ。

1968.4月に<YOU'LL NEVER WALK ALONE/WE CALL ON HIM>のカップリングでリリースされたシングルってのは、ものすごいですよね。残念なことに日本ではリリースされませんでしたが、ハートがぎっしりつまった超極上のたい焼みたいなものです。もしエルヴィスってどんな人って知りたかったら、このシングルを聴けば分かる。

これぞ!エルヴィス・プレスリー。



エルヴィス自身がピアノを弾いていることでも有名な曲。ブロードウェイ・ミュージカル『回転木馬』からのピックアップです。

オスカー・ハマースタイン2世、リチャード・ロジャースの黄金コンビによる作品。

エルヴィス以前には45年にシナトラでチャートインして全米9位。46年にジュディ・ガーランドが全米25位。55年には映画化されサントラとしてヒット。

その1年前にはロイ・ハミルトンがR&Bチャートでトップ。67年9月にRCA・Bスタジオでエルヴィスはロイ・ハミルトンのバージョンを下敷きにしてのパフォーマンス、<Best Sacred Performance>としてグラミー・ノミネートされた。

ノミネートにふさわしい折り紙付きの素晴らしさは最近完全にはまっているピエロとしても特選のおススめ曲。

どうしてなんだろうね。
ボクのちっぽけなサイトを見た人がボクにおくられてくれるメールには「ありがとう」って書いてある。

ボクはグレイスランドで何度も「ありがとう、エルヴィス、ありがとう」って言ってた。塀にはTHANKYOUの文字だらけだ。

著名な評論家の方も「ありがとう」って書いている。なんでみんなありがとうって言うのかな。エルヴィスはいつも「ありがとう」「とってもありがとう」ってみんなに言ってた。

こんなのってあるのか?「ありがとうの世界」って気持ち悪くないかい?
正直言ってボクはゴスペルをそれらしく歌うエルヴィスなんてイヤだ。

ロックンロールのキングがゴスペルでグラミーも3回獲得してる!おかしいじゃないか?

アンタのロックってまゆつばもんかよ!とふとひとりでコソッと呟いてしまう時もある。音楽的にルーツって言ってしまえばそうだろうけど、「姿勢」ってもんがある。ロックンロールはそれが大事なんだ。

しかし、いまだからそんなふうに言えることであって、エルヴィスが真の意味でロックンロールのキングだった時代ってロックは軽薄と扱われていたんだよね。グラミーからお呼びがかかる時代じゃない。エルヴィスはそんな時代を乗り越えてきたんだ。

だからエルヴィスの歌には、そんな逆境も含めて、エルヴィスならではの生活感が詰まってる。一般庶民からすれば、とんでもなく派手で贅沢な生活のはずだけど、ゴスペルを聴いたら、この人はどこに立っているんだとますます分からなくなってくる。

金でできたクルマに乗っていて、なんでコレがこんなように歌えるの?泣けるほどピュアなんだよね。これがもう。たまらないくらいピュアなんだ。<YOU'LL NEVER WALK ALONE>ってすごいでしょう。

地響きがするってコレだよ、ロックのコンサート会場の大音響も素敵だが、それとはまた違う。なにが響いているのかというと、魂が響いいているんだよね。嘘だと思うなら聴いてみなよ。
そんなに響く「魂」ってやっぱり普通じゃない。この人どんな生き方してたんダ?と考えてしまう。

白か黒かのように決め込んで行く。それっておかしいんだ。やっぱり。

------------エルヴィスはそれを教えてくれる。

「物事はステレオタイプで考えてはダメなんだ。だからボクのアルバムは疑似ステレオだったろう」って言ったような気がする。

-------------深い井戸の底から歌っていたような声だった。--------確かにエルヴィスは深い。





When you walk through a storm
Hold your head up high
And don't be afraid of the dark
At the end of the storm Is a golden sky
And the sweet silver song of a lark

Walk on through the wind
Walk on through the rain
hough your dreams be tossed and blown

Walk on, walk on (Walk on, walk on)
With hope in your heart
And you'll never walk alone
You will never walk alone

Walk on, walk on (Walk on, walk on)
With hope in your heart
And you'll never walk alone
You will never walk alone



ステイ・アウェイ/STAY AWAY


ステイ・アウェイ/
STAY AWAY

若者文化と音楽は切り離せない。それを切り開いた先駆者がエルヴィス・プレスリーだ。エルヴィス登場でレコード業界の売上が一気に倍になったのもそうだし、ティーンエージャーという概念が明確になったのもそのあたりだ。エルヴィス・プレスリー登場前には明確な若者文化は存在しなかった。

前例のないことずくめだったエルヴィス・ブームだが、ついしばらく前までは素人だったエルヴィスと興行の世界で生きていたマネジャー、トム・パーカー大佐にとって手探りの前進であったことは容易に判断できる。

トム・パーカー大佐は9年間の映画の契約をした。この契約は当時の状況を考えれば賢明な選択だったのだろう。なにしろ経済用語として誕生したティーンエージャーという概念が、一般化するのはロックンロール以降だ。。ティーンエージャーはギルバート・ティーンエイジ・サービスというマーケティング会社が15歳~19歳の市場が経済にあたえる影響力の大きさを1945年に提言した際に使用した造語だった。

トム・パーカーにとっては過去の体験をベースに考えるしか手はなかったはずだからだ。
一時的な人気だろうと判断したとすれば9年間の契約は破格の条件だ。

エルヴィス・プレスリーにとってもビング・クロスビー、フランク・シナトラなど当時の大スターがこぞって映画に出演して、アカデミー賞を獲得していることを考えれば、自身にとっても夢物語だっただろう。

当時大量に制作され二流スターによるB級作品の数々に混じって、一流スターによるB級作品が「エルヴィス映画」のフォーマット。強いキャラクターによるB級作品、というのはいまでも定番。マネーメーキングトップ10などの顔を出す常連として、例えば青春スター総出演というふれこみの「スクリューム」をはじめとするホラー、スティーヴン・キング原作作品などがその典型。

スティーヴン・キングのファン数を計算した一定の稼ぎが予測できるのも魅力。大きな投資をして冒険するより堅実なビジネスというのもハリウッドのスタイルのひとつ。

 契約の詳細は分からないが、9年間の契約ということはパラマウント映画のプロデューサー、ハル・ウォリスにしてもエルヴィス・プレスリーに対してその義務を履行しなければならないとなれば、一発勝負のような賭けに出るより堅実なバンド作戦で稼ごうというのも無理のない話かも。

ロバート・ミッチャムから弟役で出演の依頼を受けたこともあるが、ロバート・ミッチャムに似てエルヴィスにはどこかけだるいニヒルな雰囲気があった。

「マーロン・ブランドは研究した」とエルヴィス自身が語っているように鬱憤を爆発させる反抗的な印象も似ていたし、「ジェームス・ディーン物語」制作の計画があることを知りディーン役を望んだように、屈折した印象も共通していた。

また「手錠のままの脱獄」でトニー・カーティスが演じた役もエルヴィスに打診があったものだ。やはりカーティースから発散される若者の苛立ちの匂いもよく似ていた。


ロックンローラーらしい反逆児を強く印象づけた入隊前の4作品と打って変わって明るくポップな作品では、貧しくても秩序を求める反骨の青年という役柄の作品に変わった。

そんな作品群にあってもっとも異質でありながら、もっともエルヴィス・プレスリーの適役と思えたのが「燃える平原児」。

インディアンの母と白人の父の間に生まれた混血で、兄は白人のいい子。自分は混血ゆえに白人世界にも、インディアン世界にも受け入れられない様は、双生児で兄は死産だったことやデビュー当初エルヴィスの音楽が白人DJからは黒人のようだと敬遠され、黒人DJには白人っぽいと敬遠されたのと酷似している。

結局どこからもはみだした青年はひとり死に場所を求めて消えていく場面でこの映画は終る。

実際のエルヴィス・プレスリーは音楽ではオリジナリティに満ちた世界を築き、映画ではミュージカルでもなければ、コメディでもない「エルヴィス映画」というオリジナルな世界を構築した。

一枚看板でただ存在しているだけで一本の映画が完成してしまうというのは「ミッキー・マウス」とエルヴィス・プレスリーくらいなものではなかったか。現在のように情報伝達力が違う当時、アメリカの象徴として世界のマーケットへ打って出るには映画しかなかった。

エルヴィス・プレスリーは若き野心で演技することを夢見たはずだが、パーカーたちは挫いた。トム・パーカー大佐が世界中に見せたかったのは演技するエルヴィスではなく、歌手エルヴィスだった。

時代の変遷と共に情報の伝達方法も変わった。MTVなどに代表される音楽映像もアート性を高め見ごたえのある映像が次々に流される。しかしどんどん送り込まれくる映像はどこか使い捨てのような気がして淋しくもある。

エルヴィス映画はそれと比べるといまとなっては,一部にすごい場面もあるももの、全体にダサイ。ビートルズ映画とくらべても歴然だ。しかし典型的なアナログのそれはどこかあたたかみがある。と、言えばステレオタイプ的すぎるか?

それはエルヴィスとか、ビートルズとか、オアシスとか、アーティストの問題ではない。夢の工場ハリウッドから送りだされた作品はB級だが、決して使い捨てにはされなかった。そこには食べ物やお金では得られない幸せの香りがあった。幸せかどうかってことはとっても大事なことだ。 

エルヴィス・プレスリーは愛を探していたんだと思う。みんなに愛されたくていくつもの映画に出演していたんだとーーー。「ファンのために」という言葉の意味の本当はエルヴィスも気がつかなかったかも知れないが「みんなに愛してほしいんだ。」と言ってたように思う。屈託のない笑顔の向こうで,命がけでそう言ってるように思う。

グラディス母さんはエルヴィスにずっと甘えていたんだと思う。
「貧乏だけど、僕にはにそれを感じさせないようにいろんなものを買ってくれました」とコメントをエルヴィスは残しているが、気を使っていたのはエルヴィスだったと思う。
エルヴィスは愛されたいと願いながら、それ以上に愛してきた。グラディス母さんもプリシラも、その後のガールフレンドたちも。

与えることが愛することと思ったのはグラディス母さんとの関係で学んでしまったことだと思う。エルヴィスは愛する人に尽くした。でも本当はそれ以上に愛してほしかったんだろう。そんなエルヴィスの気持ちを誰も分かってあげることはできなかったんではないかと思う。

もしかしたらプリシラも、その後のガールフレンドたちももっとエルヴィスを愛したかったのかも知れない、でもエルヴィスは必要とするより、必要とされることしか知らなかったのかも知れない。

その理由はまたべつな機会に譲るが、エルヴィスはグラディスを、プリシラを、ファンを、バーノンを必要としていた。無意識に必要としている自分を、他者への優しさで欺いてしまっていたような気がする。

「愛」って言葉を簡単に使ってしまうわりには、現実にはみんな手の中にあるようで、ないことをエルヴィス・プレスリーは人一倍強く深く感じていたのではないか。


エルヴィス・プレスリーにとっても観る者にとってもMONEYじゃなくてLOVEの問題だ。エルヴィス映画がとってもダサク思えてしまう自分というのは、どこかおかしいのではないかと思うこの頃だ。

見えないものを見る目があれば、聞こえないものを聞く耳があれば、そこには燃える星が輝いているのが分かるはずだ。

一万マイル違く離れた地をさまよっても
故郷の山々が呼ぶのが聞こえる
高々とそびえる峡谷、低くくぼんだ谷
こだまよ、なぜに離れていられるのか
俺の夢はワシが舞い
山の頂が空高く届き
小川がくねり、風の吹く地にある
教えて、なぜこの地を離れていられるのか

愛するこの地を離れ、自分の心を欺き
よそに長く居すぎたようだ
だからもう、行かなくては
山々が帰っておいでと呼ぶあの地へ
山々が帰っておいでと呼ぶあの地へ

日本劇場未公開M-G-Mの劇映画『Stay Away,Joe』の主題歌としてタイトルバックに歌われた曲は「牧場の我が家」のタイトルで知られるスコットランド民謡。


原曲が民謡とあってシンプルな曲だが、流石という情感。峡谷の映像のタイトルバックに流れる見事な歌。忘れられないシーンのひとつだ。




2010年6月11日金曜日

その気でいこう / LET YOURSELF GO

その気でいこう / LET YOURSELF GO

エルヴィス・プレスリー主演&ノーマン・タウログ監督のコンビ8本目の映画『スピードウェイ』のサントラ主題歌<その気でいこう>

エルヴィス・プレスリーの人気に翳りが生じた時期に発表された「傑作」<その気でいこう>は、<アメリカ魂>/<ステイ・アウェイ>、<ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン>/<ウィ・コール・ヒム>の後を承けて<恋のボサ・ノヴァ>/<おしゃべりはやめて>、<明日への願い>と繋がっていく『TVスペシャル』直前のサントラである。
つまりエルヴィス・プレスリーのキャリアの中でも、もっとも微妙にアイデンティティが渾沌としている時期の作品だ。

 1965.6月に<クライング・イン・ザ・チャペル>がチャート3位になった後、<イン・ザ・ゲットー>が69年6月に3位になるまで、ベスト10まで迫った曲は<イージー・クエスチョン><僕は君のもの><僕はあやつり人形><ラヴ・レター>などバラードばかりだ。

 ナンシー・シナトラと共演の話題の映画『スピードウェイ』のサントラ主題歌となった<その気でいこう>も1968年7月に最高位71位、B面に収録された<お前にはまだ早い>が72位と不発だった。

 しかしチャートはチャート。作品的に、この<その気でいこう>はノリノリの快作なのだ。
その間にイケてるロックナンバー<カリフォルニア万才(Spinout)>もあった。

それもそのはずで、この曲はサントラであると同時に『TVスペシャル』に使用する目的で作られた作品。68年6月に『TVスペシャル』バージョンが録音された。

しかし実際には『TVスペシャル』としてはテレビにも、アルバムにも収録されなかった。他界後のアルバム『エルヴィス・プレスリーの歴史・第三集』にそのバージョンが収録されている。

不調な映画の連続に埋没した感のある楽曲だが、手拍子から始まるあたりはワクワクする。
ブルージーな迫力で歌うエルヴィスに絡んだハーモニカとバックのコーラスをさらにドラムが盛り上げ楽しめる飽きのこないパワーのある作品に仕上がっている。
『TVスペシャル』で歌うシーンが放映されていたら、この曲の評価は変わっていただろう。

『スピードウェイ』は、<フルーツカラーのお月さま><にくい貴方><サマーワイン><007は二度死ぬ>などのヒットを連発していたナンシー・シナトラを迎えての作品。
残念なことに映画『スピードウェイ』の内容は強力コンビを生かせない内容で、DVDで鑑賞するまでほとんど記憶になかった。

尚、ナンシー・シナトラは後年『プレイボーイ』誌でヌードになってシナトラ・パパと世間を驚かせた。後年、60年代の斬新なファッションとあわせて、そのコケティシュな魅力が再認識されている

 どんな飲み物も、料理も、水が悪ければおいしくない。しかし出来上がった飲み物や料理には味があるために、水の良し悪しは分からない。ゴスペルのエルヴィスが素晴らしいのは、ナマのエルヴィスを聴いているようなものだ。つまり曲の出来栄に左右されずにエルヴィスそのものをストレートに感じることができるからに他ならない。ゴスペルは水をストレートに飲んでる状態であって、ジュースにすると果物の味によって水が台なしにされるのと同じ状況。

 この<その気でいこう>にはそんなジュースの味がするのだ。つまりエルヴィスが水、果物は100%天然の果汁ではないが、水がいいから結構おいしいのだ。
しかし人工の味が邪魔をして、水の良さがなかなか分かりづらく微妙な味加減がすぐにグラッと来ないのだ。天然のロックンローラー、エルヴィス・プレスリーのイメージにはほど遠いロックナンバーだが、鯛は鯛であることが、キングはキングであることが、認識できる。

南部の天然の味がする果汁100%のサン時代の曲、あるいは名盤『フローム・エルヴィス・イン・メンフィス』を果汁90%とするなら、果汁40%のナンバーとして楽しみたい。その気でいこう!




ベイビー、今夜、教えてあげる
愛とはどんなものなのか
信じて、ハニー
なにもかもがうまくいく
僕のまねをして、難しくなんかない
いいかい、誰にでもできるんだ自分を出せばいいだけさ

ほら、怖がっちゃだめ
楽にして、あせらずに
おちつきなよ、ベイビー
いくあてもないんだから
僕をきつく抱きしめて
楽しめばいいんだ、素直になって
自分を出せばいいだけさ

ちょっと練習するだけで
自分でふと気がつけばもう
用意はできている
だからベイビー、さあいくよ
Let,s go, Iet,s go, Iet,s go

大きく息を吸い込んで
その赤く暖かな唇を重ねておくれ
言ったとおりにしてごらん
すべてがうまくいくから
そっと優しく口づけて、ゆっくりと
相手は僕だけ、あわてないで
自分を出せばいいだけさ(目分を出して)
自分を出してごらんよ(自分を出して)
自分を出せばいいだけさ(自分を出して)
自分を出してごらんよ(自分を出して)
自分を出せばいいだけさ(自分を出して)
自分を出せばいいだけさ(自分を出して)

とにかく君がやることは
自分を出せばいいだけさ


Oh, baby I'm gonna teach you
What love's ali about tonight
Trust me, honey
Everything's gonna be all rights
Just do like I do, there ain't nothin' to it
Listen to me baby, anybody can do it
All you gotta' do is just let yourself go

Now don't be afraid
Just re ax and take it real slow
Cool it, baby You ain't got no place to go
Just put your arms around me real tight
Enjoy yourself, baby, don't fight
All you gotta* do is jvst let yourself go

All you need is Just a little rehearsal
And the first thing that you know
You'll be ready for the grand finale
So come on baby, Iet,s go
Let,s go, Iet,s go, Iet,s go

Take a real deep breath
And put your warm red lips on mine
Just do like I tell you
Everything's gonna' be just fine
Kiss me nice and easy, take your time
Cause baby I'm the only one here in line
All you gotta' do is just let yourself go (Let it go)
Let yourself go right now (Let it go)
Yeah, Iet vourself go (Let it go)
Let vourself go right now (Let it go)
Yeah, Iet yourself go (Let it go)
Let yourself go (Let it go)

All you gotta' do is just, ah
Let yourself go

2010年4月23日金曜日

全米視聴率70.2% プレスリーのテレビ・ショー


全米視聴率70.2% ELVIS: NBC-TV Special

「いよいよ今夜ね」「今夜エルヴィスがテレビに出るのよ」「早く帰らなくては」「今夜9時からだったな」1968年12月3日全米で交わされた会話はこんなだっただろう。

1956年に一大旋風を巻き起こし、かってない過激なスタイルゆえに空前の人気を得ながらもパッシングを受け、82.6%という驚異的な視聴率を残しテレビから姿を消した。その後は1960年のフランク・シナトラショーに除隊を記念してゲスト出演しただけだった。
テレビの前に座る人は期待した。アメリカが世界に誇る稀代のアーティストのピュアな姿を。永く目にしたことのない本当のエルヴィスの登場を待った。その予 感はメディアを通じて伝えられていた。

視聴率70.2%。1968年12月3日9時から1時間放映されたテレビ・ショー。ELVIS: NBC-TV Specialことである。

エルヴィス・プレスリーは怒っているかのようだ。激しい。失ったものを奪還するためにありったけの力で疾走しているかのようだ。
かってのあの怪し気なエコーがたっぷりかかったサウンドから響く、一生どうあがこうが抜け切れそうにない悲哀の情感やいくら怒ってもナニも変わりそうもな い空回りする怒り、明日になればすっかり状況が変わってしまいそうな危うい歓び。人間の心の底にまとわりついて離れないものがここにはない。

モノラルサウンドで響いてくる声どっしりとした声が潰れんばかりに炸裂している。一生懸命が悲しく聴こえたりする。数々の映画用の軽い楽曲を歌っているの と随分違う。キングが荒野を疾走している。周りに座っている女性たちの嬌声やバンド仲間のバカ笑いのわざとらしさが革の戦闘服を着たキングに似合わない。

エルヴィスはシンプルになればなるほど凄くて美しい。ピュア。アカペラにこそエルヴィスの神髄がある。誰も真似の出来ない声。どこにもない声。不思議がある。
ほとんど一瞬にして「カムバック」を成し遂げた。

「カリスマ」とはこういうことなのだろう。
他のカリスマ的人物と比較しても、エルヴィス・プレスリーという人物はほとんど努力らしい努力なしに、「キング」の座に座り続け、死後もなお燦然と輝き続 けているという不思議な存在だ。

「努力らしい努力なしに」とは才能なき人間の戯言でしかない。
エルヴィスがしたのはサン・レコード・スタジオのドアをノックをしたことだけではないのか。ふと、そう思うことがある。後はすべて偶然の産物のようでもある。自分の才能を他人に委ねてきた。

ステレオタイプの見方かも知れないが、そういう意味では極めてアメリカ的な人物でないが、その成功の度合いは極めてアメリカ的であり、逆に成功のあり方は 極めてアメリカ的でない。なるほどコンサートそのものを仕切ったのはエルヴィスだろう。誰もエルヴィスに逆らうこともできなかったし、その必要もなかった のだろう。

しかし考えてみればいかに古いタイプの芸能の世界にあっても、エルヴィスほどの実力者なら、もっと広いフィールドで指揮し操ることができたはず だ。それは意欲の問題ではなく、主張する技術の問題であり、技術を磨けなかった直接の原因であった自分への信頼の問題だったように思える。

私の勝手な判断なのだが、エルヴィスは努力の仕方が分からなかったのだろう。そういうとまるで無能なのかと勘違いされそうだが、決してそうではない。 おそらく「自分を表現する技術」が分からなかった。

「照れ屋」という言葉で片付けられてしまっているが、自分を主張することが他人への押し付けなるに思えたのではないだろうか?あるいは信じられないことだが、自分は受け入れられないとさえ思い続けてきたのではないだろうか?つい自分を抑えてしまうという習 性から終生解放されずに一生続いたのではないか。歌っている時にのみ自分を解放できたのでないだろうか?それゆえその情念は歌に凝縮され続けたのではないだろうか?

 1960年代後半、ロックンロールはそのアイデンティティを明確にしつつあった。1958年エルヴィスが軍隊へ召集され、エディ・コクランやバディ・ホリーが急死し、ジーン・ヴィセントは重傷を負い、生まれたばかりのまだ若いロックンロールは事実上壊滅状態になった。社会の批判も強くブラッキーなロックは柔らかくメロディアスなロカ・バラードへ急速に変化していった。

その変化に終止符を打ち、ロックンロール特有の莫迦らしさと刹那さを奏 でたのはロック第二世代、すなわちビートルズやビーチ・ボーイズだった。市民権を得、次第にリーダーとなっていった彼等は時が過ぎるとともにコピーすることをやめ自分たちのアイデンティティを掲げだした。ボブ・ディランらが参加しエルヴィスたちが掲げたロックンロールは流行の衣装でなく文化なのだと軍旗にして掲げた。

マネジャーのパーカー大佐はこの特別番組を「クリスマス番組」にすることでエルヴィスを世界最高のサンタクロースにしょうとしたが、この特別な番組のプロデューサーでありディレクターであったスティーブ・バインダーはエルヴィスに戦闘服を着せようと試みて世界最高のロックンローラーを要 求した。

メンフィスのアメリカン・スタジオでエルヴィスのアルバム<From Elvis in Memphis><Back In Memphis>をプロデュースしたチップス・モーンが、エルヴィスにその才能を発揮するような仕事をさせないのなら、「スタジオ使用料をさっさと払ってこのスタジオから出ていってくれ」とやったように、スティーブ・バインダーも頑に拒否した。

強欲な人たちがいま自分の目の前にある奇跡に心奪われ人間性を損ない、光り輝いている宝物を持っている純朴なエルヴィスを操作しょうとする簡単だった。ユダがキリストを売ったように。

スティーブ・バインダーは明確なビジョンがあったわけではない。特別番組が凡庸であったことがそれを証明している。しかし少なくとも彼はユダではなかった。彼はエルヴィスを世界最高のサンタクロースすることは狂っていると思ったのだろう。揺らぎのない唯一の結論はロック第二世代が掲げた旗の下にエルヴィス は座っているべきだということだった。

スティーブ・バインダーの特別番組はどうしょうもなく凡庸だった。映像としては「昔のエルヴィス」「映画の中のエルヴィス」でしかない。楽曲は「明日への願い」や「ギターマン」を除けば召集前のものが大半だった。

しかしエルヴィスは驀進していた。昔のエルヴィスでも映画の中のエルヴィスでもなく「オレはいまここに生きている」と悲しいまでに一途に驀進していた。この番組に水と光を与えて、どの曲も素晴らしいパフォーマ ンスとしているのは火の玉のように熱いエルヴィスの非凡さとエネルギーだ。

<Heartbreak Hotel ><Hound Dog ><Jailhouse Rock>などのロックンロールの頂点にある曲ははどれも全身でぶつかっている激しさに満ちている。<Guitar Man >は低迷期のサントラ用の曲だが、エルヴィスにインスピレーションを与えた曲だけあって、際立っている。<Up Above My Head ><Saved> はコーラスとの調和もすばらしく聴く者をグイグイ引っ張っていく強さに溢れていて感動的だ。<Love Me Tender >はこのパフォーマンスが最高だ。後に幾多のライブでこの曲を歌っているが、決して過去に生きようとはしなかったエルヴィスはこの曲に限らず入隊前の曲は 軽くこなしている。

しかしこの番組では違う。<Love Me Tender >はロックンロール・メドレーの激しいパフォーマンスの後なので、息も整っていない。歌いながら調整し次第に変化していく様子は、若く拙い愛が時とともに 信頼を増し次第に成熟していく様を思わせる。もしこの場に居合わせたなら、涙なしに聴くことは不可能と思わせる。どれもがエルヴィスのオリジナリティに満 ちていて、誰も真似することはできない。

スティーブ・バインダーがしたことは、エルヴィスにふさわしい場を作ることだけだった。それはチップス・モーンも同じだっただろう。サム・フィリップスもそうだった。エルヴィスは自分の椅子に座るにも「座ってもいいかな」というような人だったのだろう。そこに自分の椅子があっても、許可 なく座ると失礼だと思うような人だった。

エルヴィス・プレスリーのように生きるのが不器用な人はこの世界に溢れている。このアメリカの世紀と言われる20世紀という時代に、エルヴィスのようなキャラクターがアメリカのヒーローとして世界を熱狂させたカリスマであったというのはまことに面白い。

ロックンロールしょう、生きるのが不器用な人たちよ。
そう言った気がする。ELVIS: NBC-TV Specialであった。
20世紀にいてくれてありがとう、エルヴィス。